東京にきて感じるのはみんな小奇麗な格好をしているということだ。
そのため、人の集まる場所に行くのには、今まで以上に身なりに気を使い、そして、被服費がとてもかさんでいる。前に住んでいたところでは、わりと適当な格好でもよかったと思うのだが、なんで東京の人はみんなカッコイイのだろう。みんな適当だったら楽なのにな、なんて思っていたが、その理由の一つに、こんなゲーム理論を当てはめて理解してみた。
東京で、なんらかの集まりに参加する場合にどのような服装で行くかを下の表で考えてみる。
このゲームでは、プレイヤー1が安い服、プレイヤー2も安い服を買えば、両者とも恥ずかしい思いをいしないため、満足する。また、同様に、プレイヤー1が高い服を買った場合、プレイヤー2は恥ずかしいのを避けるため、最善の手は高い服を買うことになる。両者がそれぞれ違う選択をした場合、どちらか一方が恥ずかしい思いをし、一方は必要以上に費用を使うため両者とも後悔することになる。そのため、左上もしくは右下のセルが相手の動きに対して最適反応となる。これら2つのセル(左上、右下)をナッシュ均衡という*
ナッシュ均衡が複数ある場合、そのうち一つは他より望ましい均衡状態となりうる。望ましくない均衡状態にあるプレーヤーはより望ましい均衡状態に移ろうとする。今回の場合でいえば、望ましい均衡状態とは両者が安い服を買うことだろう。しかし、現状として、東京には「小奇麗な人が多い」という前提から、高い服を買うという選択をせざるを得ない。そのため、東京のなんらかの集まりに行った場合には、小奇麗に見繕った人が多いのだと思う(一つの考え方として)。この望ましくない均衡から抜けるには、お互いが知り合いになり、カジュアルな格好でも集まれるようになることだろう。うん、そうしよう。
なお、この理論は田舎者の私の解釈で、実際に小奇麗な人が多い理由としては、礼儀だったり、ステータスだったり、そもそも経済的に余裕のある人が多いということが実情だと思う。
*ナッシュ均衡
他のすべてのプレイヤーの動きの対して、どのプレーヤーも自分のとった戦略を後悔しない、相手の動きに対して最適反応となる戦略。ナッシュ均衡では、プレイヤー同士が協調し合うことは無く、相手の行動は変えられないものとする。
参考図書
仕事に使えるゲーム理論 ジェームズ・ミラー 著 金利光 訳
そのため、人の集まる場所に行くのには、今まで以上に身なりに気を使い、そして、被服費がとてもかさんでいる。前に住んでいたところでは、わりと適当な格好でもよかったと思うのだが、なんで東京の人はみんなカッコイイのだろう。みんな適当だったら楽なのにな、なんて思っていたが、その理由の一つに、こんなゲーム理論を当てはめて理解してみた。
東京で、なんらかの集まりに参加する場合にどのような服装で行くかを下の表で考えてみる。
このゲームでは、プレイヤー1が安い服、プレイヤー2も安い服を買えば、両者とも恥ずかしい思いをいしないため、満足する。また、同様に、プレイヤー1が高い服を買った場合、プレイヤー2は恥ずかしいのを避けるため、最善の手は高い服を買うことになる。両者がそれぞれ違う選択をした場合、どちらか一方が恥ずかしい思いをし、一方は必要以上に費用を使うため両者とも後悔することになる。そのため、左上もしくは右下のセルが相手の動きに対して最適反応となる。これら2つのセル(左上、右下)をナッシュ均衡という*
ナッシュ均衡が複数ある場合、そのうち一つは他より望ましい均衡状態となりうる。望ましくない均衡状態にあるプレーヤーはより望ましい均衡状態に移ろうとする。今回の場合でいえば、望ましい均衡状態とは両者が安い服を買うことだろう。しかし、現状として、東京には「小奇麗な人が多い」という前提から、高い服を買うという選択をせざるを得ない。そのため、東京のなんらかの集まりに行った場合には、小奇麗に見繕った人が多いのだと思う(一つの考え方として)。この望ましくない均衡から抜けるには、お互いが知り合いになり、カジュアルな格好でも集まれるようになることだろう。うん、そうしよう。
なお、この理論は田舎者の私の解釈で、実際に小奇麗な人が多い理由としては、礼儀だったり、ステータスだったり、そもそも経済的に余裕のある人が多いということが実情だと思う。
*ナッシュ均衡
他のすべてのプレイヤーの動きの対して、どのプレーヤーも自分のとった戦略を後悔しない、相手の動きに対して最適反応となる戦略。ナッシュ均衡では、プレイヤー同士が協調し合うことは無く、相手の行動は変えられないものとする。
参考図書
仕事に使えるゲーム理論 ジェームズ・ミラー 著 金利光 訳
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by kerukeru25
| 2013-02-24 23:31
| 日常